教養列伝

死ぬときはどんな感じなのか。どれほどの苦痛に耐えないといけないのか。

足成-五十嵐優美-5

記事では

困ったさん
死について考えるけれど、死に始めてから死ぬまでにどれほど苦しまなければならないのだろう。すごく怖いです。

というお悩みにターゲットしています。

人間は所詮、一人で死んでいきます。

心中という事態もあり得ますが、しかしどうして、自分の身体が失われるその瞬間は、自分自身で向き合うしかないのです。

死ぬときってどんな感じなのでしょうね?

死ぬときはどんな感じなのか。どれほどの苦痛に耐えないといけないのか。

もしかして自殺を考えてますか?

もしあなたが自殺を考えているなら

やめておきなさい

と、ありきたりなことを言っておきます。

なんで自殺がいけないのか。

その理由は簡単です。

生まれてきた本分を全うできないからです。

人はみな、自分で自分の人生を生まれるまえに決めて生まれてきました。

だから途中でドロップしてはだめ。

少なくとも

「自殺が人生の本分であった」

というような宿命を負った人は、僕のブログなんぞ見ていないはずなので、あなたにはおすすめしません。

死ぬときは

苦しくて痛いに決まっています。

意識をすぐに失うことができれば楽なのでしょうが、意識を持ったまま身体の機能が失われていくとなるとしんどいです。

痛みが突き抜けると

痛みが限度を突き抜けると麻痺してしまうことがあるようです。

生物の機能として、痛みは反応を促すので大事なのですが、痛みがなくなるほどのケガということは、既に自分の身体が機能を諦めた、ということでしょうか。

時々幻覚がみえるらしい

生死の淵をさまよった人が帰還すると、同じような経験を語ることがあります。

・長いトンネルを抜けて
・目の前に川があってお花畑が
・真っ暗な道を手探りで

などなどです。

それは死後の世界ではないか

という人もいますが、脳が今までの記憶から何かをフラッシュバックさせている、というほうが僕はしっくりきます。


楽に死ねる方法はあるのか

ぐぐったらありそうですね。

・睡眠薬で眠った後の練炭自殺や
・睡眠薬で眠った後に心臓の機能を停止させる薬を点滴で摂取
・ギロチンによる首の切断(ギロチンの仕組みは貴族が楽に死ねるように開発されたもの)

ですが、重ねていいますが、自ら死んではだめです。

どうしてこのページを見ているのか

僕のブログのファン、という稀有なかたを除けば、本記事をみているかたは、どこか自信を失ってしまったかたではないでしょうか。

ずっと昔なのか、最近なのか、はわかりませんが、自信を大きく失っている。

だから死を考える。

でも死ねない。

死ぬときは苦しそうだから。

そんな時の答えはひとつです。

死ぬまで生きればいい。

今日に集中して生きればいい。

無鉄砲に計画なく、ではなく。

ちゃんと自分の損得を計算して。

自信を失ったあなたは、自分が失敗しても構わないような、自分が傷ついても感覚を麻痺させるようにして生きてきたのではありませんか?

それはよくない。

ちゃんと自分を大切にして、今日のことに集中して、今日を重ねて、死ぬその時まで生きていく。

僕らにはそれしかできません。

重ねて言います。

死んではダメです。

肉体的にも、精神的にも、です。

死ぬときはどんな感じなのか。どれほどの苦痛に耐えないといけないのか。~まとめ~

足成-五十嵐優美-2

生きていると

嫌になること、かっこ悪くて消えたくなること、病気やケガの痛さに負けそうになる。

そんなことが時々あります。いや、そんなことばかりかもしれない。

それでも次に向かっていける人のみに道は開ける。

魂が鍛えられる。

僕は人間が生きる人生の意味とは「魂を鍛えること」だと思っています。

誰かのために役に立つのも、誰かを倖せにするのも、自分の魂を鍛えるため。

生きる意味というのは、かっこつけて威勢を張ることでも、上手に口を回して人を説得することでも、ただひたすら我慢することでもありません。

大事なのは「魂が鍛えられているかどうか」

もう十分にあなたの魂は鍛えられましたか?

もう少し手を伸ばせば、まだ魂を鍛える要素があるのではないですか?

もったいない。

せっかくの人生ですから、漏れなく魂を鍛えましょう。

いつか、死ぬ、その時まで。

本記事で提案した内容があなたのお役に立てたならばこれほど嬉しいことはありません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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