下を向いて足早に歩いていた。
周りを見るのが怖かった。
ずっとしかめっ面だった。
授業でわからないことがあると
クラスメイトの前で
盛大に怒鳴られる。
寂しさを埋めようと
誰かに話しかけようとしても
何を話していいかわからない。
不安。孤独。
自分以外の世界は
まったくわからない
正体不明のロジックで動いている。
道行く人々さえ自分を
攻撃してくるような
気がしていた。
1998年秋。
受験で訪問した近畿大学。
※ 写真は2025年7月撮影
東大阪は香川の片田舎で
育った僕にとっては
見知らぬ場所であり
最寄り駅を降りたら
お店や住宅が隙間なく並び
まるで心を癒してくれる
木々や緑を排除してしまったような
そんな洗礼を受けた気がした。
写真は近大に行く途中に発見。
「女の本気を見たことあるか」
ない、かもしれない、です。
まったく思い出せない
27年前に歩いたはずなのだが
まったく記憶にない。
もちろん時の流れで
東大阪の街並みが
変わったのかもしれない。
しかしまったくだ。
全く覚えていない。
なぜ覚えていないのか。
その理由はシンプルだ。
僕はそもそも街並みを
見ていなかったのだ。
人と目を合わすのが嫌だった。
だから下を向いてしかめっ面で
足早に歩いて行ったのだ。
飲食店が並ぶ華やかな
近大通りも
当時の僕にとっては
受験に関係ない
自分に関係ない
何か知らないものがやってくる
何か知らない人に怒られる
ただの「リスク」
としかとらえていなかった。
見ていなかった。
だから覚えていない。
当時の僕は、27年後の僕に
思い出のプレゼントを贈るつもりで
街並みや雰囲気を味わっておく
なんてことを思うはずもなく
ただただ自分の世界を
守ることで必死だったなあと
新しい街並みを歩いて感じたのだ。
入口まで来ました。
途中の近大通りは飲食店が多く
つけ麺屋さんを見つけたので
帰りにつけ麺をいただきました。
特盛まで無料。850円でした。
ほかにも420円のから揚げ弁当を
売っているお店などがあり
THE学生街
って感じでしたねー
まったく思い出せない ぱーと2
キャンパス内にイン。
大学の関係者意外は
守衛室によってください
という案内を華麗にスルー。
怒られたら謝ろう。
と思っていましたが
特におとがめなし。
まあいろんな人が
出入りしていますからね。
別に僕も邪な理由で
大学に入るわけではないので。
当時もこんな感じだったかなあ。
こんな感じだったんだろうなあ。
かけらも覚えていない。
覚えているのはいわゆる
大学の大きな教室に入って
いわゆる大学の講義室を
思い浮かべると存在する
木の長机がいくつも並ぶ部屋で
ちょっと固い椅子に座って
必死で問題を解いたこと。
英語だったか数学だったか
物理や化学もあったのかな。
手ごたえはなかった。
「こりゃダメだったな」
というような認識。
「原子力」に関する学科を受験した僕。
理由?なんだったかな。
オリジナリティの追求。
そんな思いつきだったと思う。
「原子力?珍しい」
「すごいね大阪?」
「頑張ったんだね」
動機としては
承認欲求が一番強かった。
欲しかったのはそんなもの。
いま思うとつまらないものに
ずいぶんこだわっていたものだ。
しかし当時の僕にとって
「承認欲求を満たす」
ということは
欲しくても手に入らない
エベレストの頂上に咲く
高嶺の花だったのだ。
もう一つの理由
27年も経って
近くに引っ越してきたものだから
訪問した。
その理由は実は
思いでホロホロだけではない。
僕はIT技術者。
IT設備にも興味がある。
まずは
無線アクセスポイントを探した。
Wi-Fiの電波を出力する機械だ。
しかし機器を探したが
無い。
無い。
見当たらない。
スマホを確認する。
電波は検出できる。
大学だからね。
専用のWi-Fiが飛んでいる。
だからあるはずだ。
どこかに。
無線アクセスポイントが。
しかし探してもない。
ということはおそらくは。
天井裏に設置されてるな。
ということで
機械を探すのは断念。
電波の種類を調査しました。
ふむふむこうなっているのね。
※セキュリティ上データは載せません。
いろんな建物を見て回りました
合格してたらここに通ってたのかな。
27年前だから建物違うかもしれませんが。
しかし学内を回っていると
2000年竣工の建物もありました。
情報センターとか書いてたな。
僕がもし
入学していれば1999年に1年生。
出会った友達と
「きれいな建物ができたね」
なんて話していたのでしょうか。
いや大阪だから
「ええ建物できたな~」
くらいのノリでしょうか。
どんな友達ができていたのだろうか。
どんな出会いがあったのだろうか。
いやー、しかし当時の僕は
超のつくネガティブ思考だったので
まあうまくはいかなかったでしょうね。
相手を怒らせる何かを言ったり
弱みを見せてバカにされたり
それに腹を立ててずっと根に持って
そんな光景が目に浮かぶようです。
27年前の何かを拾うように
当時は人目が嫌で
目を開けているのに
目を瞑ったように歩いていた。
そこにいる人々に
目を向けることはなく
自分の世界を必死に守っていた。
だからあの頃見落とした
街並みや人の営みを探しに
27年後の僕は再び
ここへやってきたのだろう。
「大阪に長期出張になる」
決まった時にほぼ真っ先に
行こうと決めた近畿大学。
当然ながら
あの頃と同じ人や営みはなくても
今だからこそ拾える何かが
そこにあるのではないかと
自分の世界はとても小さくて
本当は世界はずっと広く広がっていると
知ってから
もう一度ここに来れば
何か拾えるのではないかと思ったのだ。
何か…言葉では表せない
その何かは拾えたような気がする。
時間が経過して
色や形はすっかり変わってしまっていたが
確かに拾えたものがあったんだ。
あの頃の僕へ
あの頃の僕へ。
大丈夫だ。
他人とちゃんと話ができている。
あの頃の僕へ。
安心してくれ。
家族も仕事もちゃんとある。
あの頃の僕へ。
どうせ自分なんて価値がない、
なんて感じる必要は全くない。
君は不器用ながらも
ちゃんと生きている。
仲間や家族のおかげだ。
あの頃の僕へ。
人生をあきらめるな。
まだまだ君は何も知らないのだから。
あの頃の僕へ。
お願いだから自分の心の皮を
ペリペリと剝がしとるような
真似はやめてくれ。
ちゃんと自分を大切にしてくれ。
これから出会う大切な人たちのためにも。
大丈夫だ。欲しいものはちゃんと手に入るから。
あの頃の僕へ。
大丈夫だ。
僕はなんとか生きている。
しかも奇跡的に楽しんで、だ。
だからあきらめるな。
あわてるな。
君は君を大切にしながら
一歩ずつ進んでいけばいい。
と、そろそろ
文面がしつこくなりそうなので
この辺にしておこう。
さみしい過去に
おいてきぼりにした
過去の僕を
27年後に拾いに行った
今回の旅。
あなたはどこに過去の自分を
おいてけぼりにしただろうか。
ふいに思いついたら
あの頃のあなたを拾いに
旅に出るのも悪くないと思う。
あなたにはそんな場所がありますか?
あなたにはそんな時代がありましたか?
おいてけぼりにしたあなたが
もしどこかにいたなら
抱きしめに行ってあげてくださいね。