ストーリーテラー

空気が読めず

相手の気持ちが

わからなかった僕が

 

人間関係を

基礎から学ぶことで

相手の気持ちを

想像できるようになり

 

今では人の相談に

乗れるレベルまで成長した

僕の人生逆転ストーリー

どうも、きゃむです!

今日は、空気が読めず
人付き合いが苦手だった
人見知りの僕が、

どうやって人間関係を
よりよく変えていくことが
できたのか。

恥ずかしい過去から
人付き合いの楽しさを知り
人の相談に乗れるまで

その経緯をお話しします。

 

 

正直、まともに話したことがなく、
思い出したくない黒歴史ばかりです。

きっと僕自身のイメージも
悪くなってしまうと思います。

でも、

あなたは僕の公式ラインに登録して
僕の発信を見てくれて
この記事にたどり着いてくれた。

そんなあなたにだけは
この内容をお伝えしたい。

 

 

人間関係を改善して
ストレスフリーな日々を
送ってほしい。

メンタルを安定させて
穏やかな心をもつことで

人を惹きつける魅力的な人に
なってほしい。

だからこそ僕は
すべてを包み隠さず
打ち明けることを決めました。

ぜひ参考にしてくださいね!

それではいきます。

 

 

父と母がずっとケンカしていた、僕の原点

 

僕は幼少期の頃から
周りに気を遣って
自分の意見を言わない
子どもでした。

 

「きゃむくんはいつも
おとなしくて手がかからない。
ありがとうね。」

友達の親やご近所さんに
褒められたその瞬間は
ものすごく嬉しくてたまらなくて

飛び上がるほど
ハッピーな気持ちになりました。

しかし、家に帰ると
そんな幸せはどこにもなく…

父と母が意見の食い違いから
言い合いをする日々

 

 

父はストレスからご飯も食べず
毎日一升瓶の日本酒を2本空け

愚痴を吐き散らし、
時には乱暴に物を投げつけて
こう叫びます。

「儂はな前にこんなことがあって
 いつも辛い想いをしてううっ…」

その言葉が遅効性の毒のように
僕の心をむしばんでいきました。

 

 

度々放たれるネガティブな
言葉に、僕は言葉を失い、

(わがまま言ったらダメなんだ…)

(まずは耐えて相手の話を聞かなきゃ…)

そんな我慢と恐怖で
頭が埋め尽くされ

友達に対しても
何も感じないようにして
接するようになりました。

 

 

自分の意見は極力言わず
いつも他人に合わせてばかり。

他人と違うことが
迷いと揺らぎを生んで
悪いことのような気がして

ますます自分の意見など
言えなくなっていました。

いや…

「自分の考えを表現する
方法がわからなくなっていた」

のほうが正しいかもしれません。

 

 

クラスでは
元気いっぱいに「ハイ!」と手を上げて
ハキハキと自信満々で答えるような、

いわゆる”みんなの人気者”とは
まったく正反対のタイプ。

掃除の時間では窓枠ばかり
2,000回往復で拭き上げる日々。

ペアを組んだ上級生からは
「あの子は同じ所ばかり
 拭いていて何かおかしい」

と敬遠される始末。

 

 

「もっと自分の意見を言いなよ」
って言われても、
一体何を言えばいいのかわからない…

とりあえず笑ってごまかして
なんとかやり過ごす…

人とのコミュニケーションも
上手く取れなくなり、

会話もぎこちなくなって
友達作りもまともにこなせない。

まさにコミュ障まっしぐらでした。

 

 

 

社会人1年目。そこで知った社会の闇とは…?

 

僕が就職活動したのは
氷河期時代。

幾度となく会社の面接を
受けては、紙と電話で
幸運をお祈りされる日々。

それでもなんとか
広島県の会社に滑り込み
内定を得ました。

 

 

しかしこれが地獄の
はじまりでした。

社会人になると
人間関係の息苦しさは
さらに加速。

60人もの社員のデスクが
ひとつのフロアに並ぶ中

各プロジェクトリーダー
が作業の割り振りを
指示して決めていく中で

「お前はそんなことも
 できないのか」

「わからないなら
 なんで聞いてこないんだ!」

「お前のせいでみんなが
 迷惑してるんだ!」

 

 

しかもサービス残業の嵐
月360時間働いていて
頭が全く回らない時に、です

『わからないことを他人に
 聞くのがどうしてもできない』

『ほら僕は不機嫌そうに
 悩んでいるでしょ助けてよ』

そう思いながら働くも
当然上手くいくはずも
ありませんでした。

『自分がモヤモヤするのは
 はっきりとした
 指示が無いからだ』

『自分で考えて行動したら
 非難されるのはおかしい』

 

 

当時の僕は
そう考えていました。

そんな僕を見かねてか
先輩たちは飲み会に
誘ってくれたのですが

「行くぞ!」と言われた
その飲み会は23時に仕事が
終わって早朝5時まで続く

平日です

翌日体調不良で休んだら
「体調管理がなってない!」
「急に休むなんてありえない!」

怒られる日々

まさに体力と気力とお金を削り
命をかけて仕事をしていました

 

 

『空気を読む』ことが
大事だと言われれば

相手の気持ちを優先して
話を聞くけれど
大体よくわからない。

よくわからないから
相手をイライラさせて
怒らせる。

なら『空気を読まずに』
自分が良いと思うことを
貫き通せばいいのか。

でもそれだと
『相手に対する配慮がない』
と怒られる。

『奴隷のようにサービス残業で
 長時間働かせておいてさらに
 訳のわからないことまで言うのか』

 

 

当時の僕は疲れと不安で
イライラしっぱなしでした。

そんな僕が職場の人間関係を
上手くこなせるはずもありません。

僕は徐々に孤立していきました。
僕の話は誰も聞いてくれません。

他の人が同じ内容を
話したら受け入れられる。

同じ内容でも僕が話すとダメ。

『あいつはダメな奴だ』
レッテルを貼られて蔑まれる日々。

ついには転勤の白羽の矢が立ち
東京へ転勤することになったのでした。

 

 

東京転勤して出会った「宇宙人上司」

 

広島で役立たず
レッテルを貼られた僕は

東京支店へ転勤して
東京で働くことになりました。
体のいい厄介払いです。

東京では新規事業をやれ
と言われて行ってみたら

これがまた違う種類の
地獄が僕を待ち受けてました。

上司が研究所出身。
まず専門用語が多すぎて
何を言っているか理解不能

 

 

それでもなんとかついていこうと
話を聞いているとすれ違いが発生

一気に失われる信用。

「こいつはダメな奴なんだ」
と認識されたが最後

怒鳴られる、からの
立ちっぱなしで3時間説教。

しかも何を言っているか理解不能。
反省のしようもない。

毎日毎日怒られる日々。
本当に辛かったです。

 

 

ここまでの経験で気づいたのですが

上司や先輩は自分のしんどさを
誰かに八つ当たりしたいがために

教育という建前のもと怒鳴り散らして
怒っていたのだと思います。

いま思えば僕はそんなに
悪い事はしていませんでした。

でも僕は「自分が悪いんだ」
と思い込んでいたので

 どうしたらいいかわからない
✅ とりあえず話を聞く
✅ とりあえず我慢する

を繰り返していました。

 

 

控えめにいって「最悪」です。
自分からサンドバックに
なっているようなものですからね。

当時の僕はそこまで
考えることもなく

広島時代のブラック勤務の
ダメージを背負いながら

東京でも精神的に追い詰められて
徐々に自分が壊れていっていました。

 

 

そんな日々を1年以上過ごすと
状況が少し変わりました。

宇宙人上司が地球の言葉を
まったく理解できないためか
仕事が無くなってしまったのです

何も指示がない日々
どうしたらいいのか

仕方ないので
毎日ネットサーフィン
をしていました。

 

 

社内ニート
きゃむの誕生です。

宇宙人上司は仕事を取ろうと必死。
でも僕には何も指示がこなかったので

上司の顔色、外出予定を
把握しては目をつけられない
ようにこっそりと隠れる日々。

体験してわかったのですが

「仕事中に暇」という状態は
「仕事が忙しい」状態と比べると
かなり辛いということ。

毎日定時で帰っていたけど
社内ニート、本当に辛かった。

インターネット検索して
気になることを調べるのは
暇つぶしとしては限界がありました。

 

 

「すごく楽じゃないか」
「なんだよそれ天国だろ」

と思うかもしれないですが
これが本当に地獄だったのです。

人間は「忙しい」よりも「暇」
に耐えられないものだ

ということをこの時に僕は
身に染みて感じました。

宇宙人の上司とともに
宇宙よりも果てしない
暇な時間を過ごす僕。

 

 

永遠とも思える苦痛が
続いていく職場。

もともと高くない
僕の自己肯定感は
地の底まで落ちました。

耐えて耐えて耐える日々。
辛い事は聞き流して

どうせ怒られるんだから
と斜に構えている。

自分自身の何かを諦めた
東京支店の3年間でした。

その後、宇宙人の上司は
宇宙へ帰り、いよいよ僕は
次の仕事を見つけるべく

「派遣社員」として
別会社に売られていきました。

 

 

派遣先での"信用"と"失墜"と

 

その会社では既に会社の
先輩が働いており

先輩の仕事を引き継ぐために
送り出されたのが僕でした。

しかし僕はですよ。
あなたもご存じの通り
ただの社内ニート

引き継ごうにも
スキルも知識もない。

先輩も
「何だこの使えない奴は」
という反応

「どうしたものか、僕には
知識経験、何もないぞ

と焦る僕。

 

 

私生活では結婚して子供ができ
子供の夜泣きで眠れない日々を
過ごす中で仕事のことにも悩む

睡眠不足の日々が続く中、
僕はひとつの技を編み出しました。

それこそが「愛嬌」でした。

僕は

✅ 先輩が何を好むのか
✅ 先輩が嫌いなことは何か
✅ 先輩はどうして欲しいのか

を徹底的に研究した結果

 先輩とはおいしいものを
  一緒に食べればいい
✅ 先輩は自分で考えない人が
  死ぬほど嫌い
✅ 先輩は僕に自分で考えて
  仕事ができるようになってほしい

と考えていることがわかりました。
ならやるべきことは一つです。

 

 

入社から既に10年、僕はようやく
職場の人間関係がうまくいく
ヒントを掴んだような気がしていました。

徐々に仕事を覚えていく日々。

なんとか仕事をこなせるようになり
少しずつ自己肯定感を取り戻すこと
ができていたのでした。

そう、あの出来事があるまでは。

東日本大震災。

 

 

当時僕が働いていたのは
24時間営業のITシステムを監視する
監視センターだったのですが

大震災です。業務崩壊
当然警報は鳴りっぱなし。
誰も帰宅できない。

電車の運休が原因ではなく
24時間仕事に追われていたのです。

疲弊していくメンバ。
もちろん僕も。
疲れで誰もが不機嫌に。

不機嫌な僕は周りの
人に当たり散らして
しまいました。

 

 

『僕だって辛いんだ』
『どうしたらいいんだ』
『どうして助けてくれないんだ』

非常時にこそ人間の本性は出る。

僕の弱いエゴに満ちた
脆弱な心の弱さが
歴史的大災害の元に露呈された。

『なんだあいつは』
『性格悪い・・・』
『格好悪い・・・』

積み重ねた僕の信用が
失われるとともに

周りの人に距離を
置かれました

 

 

普段からどれだけ信用を
積み重ねても失う時は一瞬でした

『結局は一瞬たりとも
 油断できないのか』

『職場ってものすごく
 疲れるな・・・』

『なんかもういいや』

職場の同僚の信用を
失った僕は失意の元
仕事に取り組んだのでした

 

 

唯一の救いは
妻は子育てのために
広島の実家に戻っていたこと

僕は単身赴任で
仕事をしていました

家族の生活については
安心だったのですが・・・

独り暮らしの天井は
孤独を増長させます

職場の人間関係で
傷ついた僕の心

一人で居られて良かった
ような気もするし

家族が居れば気が紛れた
のになあという気もする

モヤモヤと悩む日々でした

ここで僕が学んだことは

「自分の精神が安定して
いないと結局一瞬で
何もかもを失う

ということでした。

 

再び広島の地で働くことに

 

月日は経ち、僕は
広島の本社に戻る
ことになりました

東京生活も10年になったので
会社側が家族のことも配慮して
広島に戻してくれたのでした

が、しかし

これがまた新たな
地獄の始まりだったのです。

 

 

広島に戻った僕を
待っていたのは

妻の家族との同居

広島で住むところが
見つからなかった僕は
妻の実家に転がり込んだのでした

当然、僕は赤の他人です

妻の実家のルールを
強いられる日々

ルールを強いられて
完璧に従うこと

これは僕の大の
苦手分野はでした

 

 

当然、ギスギスする

原因は僕が言うことを
聞かないからだ
僕の配慮が足りないのだ

と妻の親や兄弟から
責められる日々の始まり

しかも転勤したばかりで
給料がとても安かったので

そんなことで
どうやって生活するんだ
何を考えているんだ
今後どうするつもりなんだ

とプレッシャーをかけられて
嫌味を言われて怒られる日々

 

 

ここでもまた人間関係の
壁が立ちはだかったのでした

そして仕事については
転勤したばかりの仕事は
僕が10年いなかった時に

様子がかなり変わっていました

僕は元々プログラマーなのですが
既にシステム開発事業は会社として
既に廃業していました。

 

 

代わりにパソコンやサーバを
設定してお客様に納品する
事業が台頭していました。

東京で社内ニートをしていた僕です。

ええ、当然やったことなど
ありませんでしたとも。

そもそも車を運転しないと
業務が成り立たないような環境

 

 

ええ、そうです
僕はペーバードライバーでした

『30歳も過ぎて運転できないって
 どういうことなんだ』

『仕事できないなら運転手くらい
 すればいいのに役立たず』

『あの先輩はなんであんなに
 仕事ができないんだ』

と、先輩、同僚、そして
後輩からもバカにされる

 

 

大学生時代はお金がなく
新人時代は時間がなく
東京時代は必要がなかった

なので
車を所有する、運転する
必要性がなかったのです

そんな事情など周りの人は
知る術もありません

『みんなができるのに
 どうしてできないんだ』

周りの僕を見る目は
たったこれだけでした

 

 

ルールを理解できず
家ではよそ者扱い

仕事では役に立たず
バカにされる日々

本当に辛かったです
消えて無くなりたかった

実際に家出をしようとしたのですが
妻に見つかり怒鳴られて止められ

また生活費を引き出すだけの
ATMとして家族のために
働かなければいけないのか

絶望的な気分になっていました

 

 

「僕は誰もやりたくない仕事を
 やらされる職場のゴミ箱なんだ」

すっかり自信を失った僕は
そう考えて、できるかどうかも
分からない仕事を依頼されても

訳も分からず
とりあえず引き受けていました

『どうせ頭もよくないから
 できないのに』

『身の程を知らない奴だ』

『お前が悪いんだろ
 助けてやるから感謝しろ』

そんな声に晒されて
さらに僕のメンタルは
沈んでいきました

 

 

病んでいる自分と向き合う、チャレンジと迷走

 

ある時、僕は自分の
明らかな異常に
気付きました

きっかけは他愛もない
同僚との雑談だったと
記憶しています

その雑談から発覚した
当時の僕にとっては
衝撃の事実

それは

『死んでしまいたい』
『誰かを殺したい』

と毎日毎日考えるのは
どうやら異常なことらしい
ということでした。

 

 

僕にとっては20代の頃から
いやもっと前からずっと
ずっと思っていたのです

辛いから死にたい
と思うのは僕の日常

世の中嫌な人ばかり
だから嫌な人を殺したい
と思うことも自然なこと

ここにきて初めて
強い違和感を感じた僕は

上司に訴えて心療内科
を受診することになりました

 

 

「何かがおかしい」

職場の産業医さんから
心療内科の受診を
薦められました

一番大きな理由は
「自傷他傷の傾向」

つまり死にたい殺したい
と毎日考えてしまうこと

鬱病の傾向あり
ということでした

 

 

その後、心療内科に
通うようになるものの

一向に良くなる兆候は
ありませんでした。

まずは医師の面談を
受けるものの明らかに

「あなたはまだ軽度」
「私の手を煩わせるな」
「症状はちゃんと説明しろ」

という態度

「なんだか嫌だなあ」

と感じた僕は
カウンセラーによる
カウンセリングを希望

 

 

何度かカウンセリングを受けて
自分の思いを正直に相談するも
鼻で笑われるという渋い反応

そして1度の診療で約4,000円
を徴収する

正直言って
「なんだこの商売は」
と思いました

心というものが曖昧である
ことを利用して適当に
やってるんじゃないのか・・・

これはダメだ・・・
自分でなんとかしないと・・・

と強烈にその必要性を感じた僕は
心に関する知識をかき集めました

 

 

しかしどの書籍や情報をみても
それっぽいことは書いているのですが

具体的にどう考えて
何をしたらいいのか
については「ふわっふわ」

曖昧な精神論ばかり

「それができれば最初から
 苦労しないよ・・・」

と感じるものばかりでした

 

 

そしてまずいことに
ここまでに多くのお金を
使ってしまっていました

心療内科の受診費用
書籍や動画、セミナーに
参加した費用

合計すると30万円を
超える出費になって
いました

 

 

それだけお金を使っても
僕の心は相変わらず
固く動かないまま

失意と絶望のもと
しばらく廃人のように
日々を過ごしていました

 

 

人生を変える大きな出会い

 

多くは望まないから
せめて人並みに生きていきたい。

人間関係ひとつで
人生を閉ざされたくない…!

そんな想いを
どこでもいいから吐き出したくて
次に始めたのがTwitter。

職場での理不尽な出来事も含め
ネガティブなことも構わず

ありったけの気持ちを
文字にしてみました。

 

 

すると、驚くべきことに

「自分も同感です!」
「私も同じことで悩んでました!(泣)」

といったコメントが
少しずつ増えていったのです。

そのやりとりが
だんだんと楽しくなり、

Twitterを生活の中心として
過ごしていたある日のことです。

 

 

かつては自分と同じように
人間関係で苦しい思い
していたけれど、

今はその悩みを解決して
笑顔を取り戻し、

その倖せを広めるために
発信活動をしているAさんと
知り合うことができました。

単に優しそうな雰囲気の人は何人かいたけど
Aさんはどこか他の人と違う気がする――

完全に直感でしたが、不思議と
そんな特別な感覚を抱きました。

 

 

Aさんはもともと
工場のラインのリーダーとして
働いていた方でした。

しかしその労働環境や
人間関係は劣悪で、

あるとき過労で倒れ、
意識を失って病院送りとなり

その出来事をきっかけに
生きる意味を失いかけてしまった
とのこと。

そういった経験もあってか、

世の中の働く人が笑顔でいられたら
その連鎖でいろんな人が倖せになる。

それが回り回って、ゆくゆくは
世の中の会社がもっと
笑顔で溢れる環境になってほしい――

そんな強く優しい軸をもって
発信し続けているAさんに

僕はいつしか心惹かれていました。

 

 

「しかし、Aさんは一体
 どうやって人間関係の悩みを
 解決したんだろう…?」

「自分とAさんは
 具体的に何が違うんだろう?」

そんな疑問と興味を抱きつつ
Aさんの発信を追っていくと、

AさんはブログやTwitterだけでなく
公式ラインでもより深い内容を
情報発信しているとのこと。

 

 

煩わしいメッセージが届くのは
正直イヤだな…と思いつつも

Aさんなら何となく
信頼できそうな気がしたし、

今の自分に必要な情報があるのでは?
とワクワクした気持ちがわいていました。

ただ、公式ラインなんて
登録したことなかったので、

「本当にこれ登録して大丈夫かな…?」
「個人情報を取られて悪用されないかな?」

最初はそんな不安もありましたが、

迷いに迷った結果、僕は思い切って
Aさんの公式ラインに登録してみることに。

 

 

公式ラインに登録すると
定期的に配信が届きました。

そこで知ったのは、
これまでのAさんの
数々の経緯と失敗談

Aさんの過去の迷いや葛藤は
今の自分と重なる部分が多く、
共感せずにはいられませんでした。

そして今は倖せいっぱい
自分らしく生きている
Aさんの人生を目の当たりにして、

「なんて羨ましいんだろう…」

「自分もせめて人と同じように
まともな人付き合いがしたい!」

「人間関係の悩みを解消して
一度きりの人生を目一杯
倖せに生きたい…!!」

そんな夢物語のような理想を
しだいに現実的に
考えるようになりました。

 

 

生まれ持った性格や才能は
決して変えられない
思っていたこれまでの人生。

でも、できることなら
この人のように
倖せを手にしてみたい…!!

そう思った僕は
単に配信を受け取るだけでなく
さらにある行動を起こすことに。

その行動とは…

自分からメッセージを
送ってみること。

Aさんの公式ラインから届く日々の配信は
確かに役に立つものばかりでしたが

「今日も良いことを聞けてよかった!」
だけで満足してしまっていました。

 

 

そして次の日には
きれいさっぱり忘れて
結局何も変わらずまた落ちこむ

その結果が今の自分。

(そんな自分を変えたい…!!)

その気持ちが伝わったのか
次の日の朝にはAさんから
メッセージが届いていました。

そしてAさんは
こんな自分のためにわざわざ
親身になって話を聞いてくれたのです。

 

 

Aさんは決して自分の意見を
人に押し付けるのではなく

僕の状況や立場、性格を
ちゃんと理解してくれたうえで

Aさん自身の経験や考えも交えて
最善の解決策を示してくれた。

今までブログやTwitterだけで
一方的に配信を受け取っていただけでは
決して得られなかった大きな収穫でした。

 

 

その中でAさんが特に
勧めてくれたのが

「応用スポーツ心理学」

無造作に情報の海を
泳ぐ僕についに一筋の光が
差し込んだのでした

学、とついていますが
その本質は学問というよりは
実学という感じでした

つまり「実践第一」

 わかりやすい心の法則
✅ 自分の心を整える方法
✅ 実践を前提とした技術

Aさんが丁寧に説明してくれる
その様子に僕はどんどん
引き込まれていきました

 

 

説明に従って毎日毎日
心のトレーニング
1日も欠かさず行った僕

そして数か月経った頃・・・

自分を振り返ってみると
布団に入る時と出る時に
「死にたい」と思わない

暇な時間ができた時に
「あいつを殺してやりたい」
とも思わない

僕の心は劇的に変わっていました

職場で嫌なことが
あっても引きずらない

嫌な事が消えて無くなる
わけではないのですが

心にベタっとくっつく
のではなく、少し離れて
余裕ができる感じ

 

 

言い訳してもいい
でも最後は自分の心は自分で決める

自分の心が負の感情を
心にへばりつけた瞬間を認識していく

自分の感情を事実と
切り離してただ認識する
表情や態度を自分で選ぶ

今に生きると考える
ただ感謝する
ただ応援する

相手をわかってあげる
相手を見通してあげる
相手を手放しで尊敬する

まず結果を求めると
心が揺らいで結局
望む結果は手に入らない

まずは心を整えて
現実に臨めば結果が
出る可能性が高くなる

これらを夜寝る前と
朝に起きた直後に布団のなかで
毎日毎日考えていました

 

 

嫌なことも毎日起こる
相変わらずプレッシャーは大きい
自分のダメさに嫌になることもある

でもその度に心を整える
毎日毎日心を整える

そのうち
毎日どころか毎時毎分毎秒
常に心を整える

僕は心を整えることに
夢中になっていました

するとどうでしょう
「なんだか最近楽しそうだね」
「話しやすくなったよ」

と言われるようになり
いままで苦虫を潰したような
顔をして話していた同僚が

普通の顔で話してくれる
ようになったのです

 

 

これは後で話を聞いたのですが
以前の僕は

 鬼の形相
✅ 常に不機嫌
✅ 話かけても無視

というような
様子だったそうです

これを聞いた時には
本当にびっくりしました

なにせ当の本人の僕には
まったく自覚が無かったのです

「他の人の目には僕は
 そんな風に映ってたのか」

「そりゃ誰も近づいてこないし
 話も聞いてくれないわけだ」

妙に納得したものでした

そこからはもう迷いませんでした

 

 

どんなときでも僕を見捨てず
応援してくれるAさん。

困った時はすぐ相談して
アドバイスをもらい
毎日の行動にフィードバック。

そんな些細な行動を重ねることで
しだいに自分の周りの
人間関係に良い変化が…

以前は同僚や上司とも
関わること自体が
ストレスだった僕が、

「人と関わるのって楽しいかも」

そんな風に思えていることに
自分自身が一番驚きました。

 

 

これまでは心の情報を
いくら探して学んでも
人間関係は改善せず
メンタルは病む一方だったのに、

Aさんと二人三脚で進むことで
職場でのストレスを感じづらい自分に
変わっていったのです。

それどころか、
職場を”自分の居場所”と思えるほど
心地良い環境だと感じられました。

 

 

しかも、周りの目を異常に気にして
他人を自ら遠ざけていた頃と違って、

仕事で困ったことがあれば
心優しい最高の仲間
快く手を貸してくれます。

『普通に過ごしているだけなのに
周りにどんどん味方が集まってくれる』

そんな好循環が生まれていったのです。

 

 

もちろんそれでも
壁にぶつかるときはあります。

でもそのたびにAさんに相談したり
試行錯誤しながら乗り越えていける

そんな確信を持てるようになりました。

生活も大きく変わりました。

ちゃんと自分の意見を
言えるようになり、

イヤイヤ残業を引き受けて
消耗する毎日からは脱却。

休日は休日らしく
自分の時間を満喫することが
できています。

 

 

さらには会社の外にも
居場所を見つけるために

自分から新しいコミュニティに
飛び込む勇気を持つことも
できるようになりました。

そこで出会えたのが、
今の僕のように発信活動を
している仲間達。

「気の合う人で周りを満たす」

そのために自ら動き出す勇気を
手に入れられたことは

確実に自分の人生を
充実させることに繋がっている
と強く感じますし、

これまでは
人間関係に疲弊するだけの
無意味な毎日だったのが、

今は本当に日々充実していて
生きていること自体が本当に幸せだと
胸を張って言えます。

 

 

人と会話すること自体におびえていた僕が
今では「人付き合いが楽しい」と思えている。

「こんなに居心地の良い世界があったのか…!」

と、泣きそうなほどの嬉しさに
心が満たされていきました。

そんなある日、

会社の同僚のM君が
人間関係に悩んでいるようだったので
話を聞いてみることにしました。

彼はいつも他人の目を気にしてしまい
些細な発言や行動もすべて
ネガティブに捉えてしまうとのこと。

 

 

自分の発言にも自信がもてず
他人からも嫌われていると
思い込んでしまい、

結果的に良い人間関係が
築けないという負のループ
陥っていました。

過去の自分と重なる部分が多く、
とても放っておける状態
ではなかったので

自分のこれまで得たマインドの知識や
経験が少しでも役に立てば…と思い
相談に乗ってみることに。

 

 

すると、2ヶ月後には
明らかに表情が明るくなっていて、

自分から意見を発言することも増え
イキイキとした働き方に変わっていき、

その様子が周りからは
自信があるように映っているようで、

彼を尊敬する人
しだいに増えていきました。

「あのとき話を聞いてくれて救われた。
本当にありがとう…!」

そんな言葉とともに
今にも泣きそうな笑顔を見た瞬間、
僕も嬉しさで胸がいっぱいになりました。

(こんな僕でももしかしたら
誰かの役に立てるのかもしれない…)

 

 

そんな思いつきがきっかけで今、
僕はこうしてTwitterやブログ、
公式ラインで発信活動をしています。

新しい挑戦だったので
始めた当初は、不安が9割
といった感じでしたが、

恥ずかしさもすべて包み隠さず
自分の考えを表現していくことで

しだいにコメントや反応が増えていき
今では個別で相談に乗ることも。

 

 

相談者の方が
前向きになってくれて、
さらに感謝もされて…

「自分の知識や経験が
誰かの役に立っている…!」

それだけでこの活動を
やっていてよかった!と
心の底から思えます。

ただ…今でも日本中で
人間関係で悩む人は絶えない

それどころか年々増えている
とさえ感じます。

 

 

自分の意見が言えなくてツラい
職場に苦手な人がいて毎日憂鬱
そもそも人との関わり方がわからない。

そんなとき、
Twitterで出会ったSさんが

絶望の淵にいた僕を
救ってくれたように、

今度は僕が
「倖せに生きたい」と願う人の人生に
寄り添ってサポートしていきたい。

そしてさらにまた周りの人へ
幸せを振りまいていく

そんな倖せの連鎖が生まれたら
最高だなと思っています。

 

 

あなたが倖せになって
ゆくゆくは家庭に笑顔を届けられたら

きっとその家族や子供達も
過去の僕のように
言葉の暴力を受けることなく
幸せな気持ちで生きていける

だからこそまずは、
あなた自身が幸せになってほしい

僕はそう願っています

 

 

次はあなたが幸せを掴む番です

 

「あなたにはあなたなりの
生き方が存在する」

その答えを手に入れたからこそ
僕はここまで人生を大きく
変えることができました

次は、あなたが
『自分らしい生き方』を知り
幸せを掴む番です

 

 

そして大切なのは
諦めず希望を信じる心

「自分なんて
嫌われて当然だ…」

と思ってしまう
日もあるでしょう

僕はそんな
あなたを全力で支えたい

絶望で先が見えず
辛い思いをしているあなたの
笑顔を作る手助けがしたい

今は自信がなくても大丈夫

ここまでこの記事を
読んでくれたあなたなら

僕がお伝えすることを実践して
必ず幸せな人生を掴んでくれる

だからこそあなたに
僕が人間関係を改善した方法を
お伝えしてもいいと思えたんです

自信のない自分を受け入れて
モヤモヤする人間関係から
解放されて人生を作り変える

極秘プログラム

 

 

詳細については
次回以降の記事で
発表していきますね!

さて、次回の記事では

心を整えて正しい道を歩むことで
人間関係やその後の人生はどんな
素晴らしいものに変わるのか?

あなたにこれから訪れる
ストレスのない平和で穏やかな未来
についてお話ししていきます。

次回もまた
公式LINEから連絡するので
楽しみにお待ちくださいね!

こんなに長い記事を
最後まで読んでいただき
本当にありがとうございました。

最後に、この記事を読んだ感想を
いただけると嬉しいです。

公式ラインからメッセージを
いただければ一つ一つ丁寧に
返信しますね!

もちろんご相談があれば
その場で承ります!

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

きゃむ

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